2011年10月12日のブログ|ある脳外科医のぼやき
今回の記事は、
いわゆる「神の手」についてです。
ゴッドハンド、という言葉が優れた外科医に使われるようになったのは、
いつの頃からでしょうか。
ゴッドハンドという言葉自体はそもそも、
アダムスミスの国富論であったり、
ディエゴ・マラドーナの伝説のゴール、
極心カラテの創始者、大山倍達の手刀、
などなど、様々な分野で登場します。
その中でも、特に外科医に対して使われる、「ゴッドハンド」「神の手」、
という単語は、
ここ10年前後で急速に一般化したと思います。
スーパードクター特集などで、
こぞってこの単語を使うマスコミや、
漫画やドラマ、アニメなどの影響が大きいでしょう。
この言葉に対して、皆さんはどういっ� ��イメージをお持ちでしょうか?
おそらくは、
「人離れした華麗なテクニックで、どんな難手術も易々こなしてしまう」
という印象が一番多いのではないかと思います。
確かに、
これはあながち外れではありません。
世の中でゴッドハンド、と呼ばれるような外科医が担当するのは、
ほとんどが他では出来ないような難症例ばかりです。
しかし、
実際にゴッドハンドと呼ばれる外科医の手術で登場するのは、
末期がんの兆候は何ですか
いわゆるアニメやドラマの世界のような「人離れした超絶テクニック」というのとは若干性格が異なります。
よくある、
「眼にも留まらない」
だとか、
「華麗」
というようなものとも少し違います。
僕も、
数々のいわゆる「神の手」と呼ばれる方の手術を見てきました。
それに共通して言えるのは、
「神の手」といわれる方の手術ほど、「簡単」に見える、ということです。
もちろん、
顕微鏡下の血管吻合など、
中には「おーっ!」と思うような物もありますが、
それでも、大抵は見ている分には簡単そうに見えるのです。
淀みなく行われ、危なげない、というのがそう見え� ��所以だろうと思います。
つまるところ、
「神の手」と呼ばれるような人の手術は、
無駄が極限までそぎ落とされている、という感じです。
一つ一つの手技を見る分には、
「これは到底できない」というような物でもないのですが、
トータルで見ると、
「あれだけ大変な手術がこんな短時間で、よどみなく終わってしまった」
というような印象となるのです。
これは、
まずは手術の戦略自体が少しも無駄がない、
ということと、
precptive何を意味している
堅実に最も確実な手技で危なげなく進めている、ということなのだろうと思うのです。
つまりは、
「神の手」というのは、
決して突出した才能による「神がかり的な手技」によるものではなく、
「極限まで無駄をそぎ落とす」というたゆまない努力によって生まれるものだろうと思います。
少しでも効率的に、安全に手術を行うにはどうするか?
を探求した末にたどり着くものなのでしょう。
誰もが「神の手」になりえないのは、
多少はセンスの影響はあったとしても、
最終的には「どこまで突き詰めようとするか」の気合いによるものだと思っています。
そして、
「神の手」と呼ばれる外科医であっても� �
皆人間です。
結果として易々と行われているような手術であったとしても、
やはり手術の最中は必死そのものです。
同じ脳外科の世界でも、
ある、ギネス記録を持つような方の手術を見に行ったことがあります。
多数の難症例をこなしているその先生でさえ、
毎手術ごとに必死で、真剣そのものでした。
「神の手」であったとしても、
同じく手術の恐怖やリスクと戦いながら、
常にベストを尽くして手術と向き合っているのです。
熱が点滅するため何をすべきか
「神の手」だから簡単に出来るだろう、というような認識がもしも一般の方にあったとしたら、
それは間違いです。
「神の手」であろうと悩み、時によっては半べそをかきながら手術をしているのです。
それを忘れないでください。
昨今のテレビ特集などを見ていると、
いかにも「神の手」と呼ばれる外科医が易々と難手術をこなしている、
という印象を植え付けることがありますが、
必ずしもそうではないのです。
そして、
そういったエキスパートになればなるほど、
必ずといっていいほど、辛いこともあるのです。
「神の手」と呼ばれる医師の実像に触れていると、
その苦悩の存在に気づ� ��されます。
これはエキスパートの宿命といえます。
その宿命については、
少し長くなってきましたので、次回に続きます。
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